【福音宣教】 「イエスのエルサレム入城 子ロバに乗って」


「もし誰かが、なぜそんなことをするのかと言ったら、「主がお入用なのです。すぐにまたここに返します」と言いなさい」」」
(マルコ11:3)

本日はエホバの証人から、主イエスの証し人へと導かれ、救われた、姉妹のバプテスマ式が礼拝後に行われます。ご家族も出席してくださっています。祝福の基となって神の愛と恵みがご家族に注がれますようにと心からお祈り申し上げます。 

イエス様の33年半の最後の1週間、日曜日の朝の出来事です。いよいよ都エルサレムに向けてイエス様と弟子たちはエリコを旅立ちました。オリーブ山の麓のベタニヤ、ベテパゲの村々にさしかかると、イエス様は弟子たちを村に遣わしました。そして、「子ロバがつながれているので、ほどいて連れてくるように」と指示されました。人の持ち物を勝手に持ってきていいのですかというためらいが弟子にはあったかと思います。もし尋ねられたら、「主がお入り用なのです」(3)と伝えなさいとイエス様は答えられました。ロバの持ち主は喜んで子ロバを手渡しました。イエス様はその子ロバの背に乗って、エルサレムへ入城されたのでした。

所有者はどうして大事なロバの子を手渡したのでしょうか。ベタニヤ村にはマルタとマリヤとラザロ家族や重い皮膚病を癒されたヤイロも住んでいます。その他にもイエス様を来たるべきメシヤ、神の国の王と信じる人々が多く住んでいたと推測できます。彼らは小さな働きであっても、「主がお入り用なのです」と聞けば、喜んでささげたことでしょう。教会の働きや神の国の建設のために、名も記されていない無数の神のしもべたちによって担われていることをあらためて教えられます。小倉町で50年前に開拓伝道を始めた時も、開町の新会堂に移った時も、この町に教会ができればと祈り願っていたクリスチャンたちの捧げものよって、そしてご奉仕によって開拓が導かれ、今の歩みがあることを思い起し、感謝に絶えません。

Ⅰ 子ロバを用いた主イエス

1)イエス様の時代、権力者・支配者。王や将軍や総督などが都入りする時は、力強い軍馬にまたがり、鎧兜に身を固め、剣や槍や縦で武装した護衛兵たちを率いて威風堂々と入城しました。自分の権威を見せつけ支配下に置き、搾取するためです。ところがダビデの子、来るべきメシヤ、神の国の王と信じられ、民衆が大いに期待していたイエス様は、なんと、頼りなさそうな子ロバの背に乗ってゆるりと入城されました。なぜでしょうか。

2) 旧約聖書ゼカリヤ9:9-10でエルサレムに来られる真の王の姿がすでに預言されていたからです。キリストがこの世に来たのは「多くの人々の罪を贖い、滅びから救うため」であり、争いではなく平和をもたらすためだからですイエス様ご自身もエルサレム入城の目的を明言されています。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45)

3)救い主は戦を始めるために来られたのではなく、戦を終わらせるため、怒りや復讐の連鎖をとめ、日常生活に平和と赦しと和解をもたらすために来られたのです。軍馬に乗って勇ましく敵を蹴散らし、歯向かう者を武力で殺戮し、怒りと憎しみを駆り立てるのではなく、赦しと和解をもたらすために真の王が来られたことをゼカリヤは預言しているのです。イエス様が用いられた子ロバはまさに、柔和な王、平和の君にふさわしい乗り物であったのです。

4)ロバと馬の比較をするとこのことがより鮮明になります。

ロバは100㎏の荷物を背負っても、長時間、長距離をコツコツと歩くことができる、持久力と忍耐力に優れた動物です。馬のように短距離をすごいスピードで疾走するような力はありませんが、ロバは柔和と忍耐の象徴とされていたそうです。忍耐深く、柔和で、十字架を負って苦難の道を歩もうとされるイエス様には、ろばは最もふさわしい動物であったわけです。かつてソロモン王が王に即位し、エルサレムに入城したときに用いられたのもロバでした。ソロモン王が後にエジプトから大量の馬を輸入したため、高貴な人々は馬に乗るようになったそうです。そして馬は軍馬として権力・支配力・武力・軍事力・破壊と戦争の象徴となっていきました。

Ⅱ 主イエスを乗せた子ロバに焦点をあわせよう

1)           初めて人を乗せた子ロバ、きっとヨタヨタ歩いたことでしょう。子ロバは筋肉も弱く、体力も十分ついていません。非力で経験も乏しく、取るに足りない小さな存在です。小さな存在のまま自分の価値も知らずに、杭につながれていた。「ほどいて連れてきなさい」とイエス様はこの世の無きに等しい者をあえて選び、用いてくださるのです。
2
)私のようなものが神に用いられる値打ちがあるのか、資格があるのか かえって足手まといになって迷惑をかけてしまうのではないか、神の名を汚すのではないかと思うことがあるかもしれません。しかし、「主がお入り用なのです」と召してくださったならば、主が自己卑下、自己劣等感、自己束縛からほどいて、解き放ってくださいます。むしろ、自分ががんばって神のためにと思えば、背伸びして息切れします。反対に、ちょっとうまくいけば、天狗になって高ぶり、偉そうにし、上から目線で人を見下げ、自己優越感にひたるもの。しかしこんな小さな者でも「主がお入り用なのです」との召しに応え、へりくだって謙虚になれば、すべての責任は主が取ってくださいます。イエス様の重さに子ロバが、もし耐えられなければ、イエス様が子ロバを背負ってエルサレムまで歩いてくださる!! 私はそう信じています。

「わたしの恵みはあなたに十分である、私の力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私を覆うために、むしろ覆いの喜んで自分の弱さを誇ろう」 (2コリント12:9)

3)最後に、「砂の上の足跡」(マーガレット・パワーズ)を紹介します。

夢の中で自分の人生を振り返ると、浜辺に二つの足跡がずっと続いている。神と私の足跡。しかし途中で一つの足跡しか残っていない。しかも私が一番苦しかった時・・・。

「あなたはその時、私を見放したのですか」と尋ねると、神の声が聞こえた。「私の愛する子よ、 わたしはあなたを決して見捨てない。あなたの試練のとき、わたしがあなたを背負って歩いたから」だと。 

イエス様は子ロバさえも用いてくださいます。他人といつしか見比べて、自分で自分を過小評価したり、自己卑下に陥ったり、他人をうらやんだりしがちな私たちです。目に見えない縄で杭につながれ、縛られやすい私たちです。「主がお入り用なのです」と、縄をほどき、必要ならば杭までも引き抜いて、イエス様はわたしたちを御国の栄光のために用いてくださるおかたです。

主イエスとともに歩んでいきましょう。天の都を目指して。