
「わたしの名のためにあなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます」(マルコ13:13)
礼拝説教:愛が冷えていく時代(マルコ 13:9–13) 20260816
昨日は戦後81年の終戦記念日でした。アジア諸国に甚大な被害と犠牲者を出した戦禍の歴史的事実を、私たちは決して忘れてはなりませんし、風化させてはならないと思います。しばし、祈りの時を捧げましょう。
1. 終末と迫害 — 愛が冷えていく時代
今日の主題は「愛が冷えていく時代」です。マルコによる福音書では、14章から始まるイエス様の十字架の苦難の前に、13章で「世の終わり(終末)」に起こる出来事が預言されています。その意図は、イエス様ご自身が歩まれた十字架の道を、後の時代の教会や弟子たちもそれぞれの十字架を背負って共に歩んでいけるよう、励ましを送ることにありました。
「世の終わり(終末)」という言葉は過激に聞こえるかもしれませんが、ギリシャ語原語(スンテレイア)は「完成」や「仕上げ」を意味します。つまり単なる時間の終焉ではなく、この世界が神様の創造の目的に基づいて完成されることを強調する言葉なのです。聖書が示す時間は、春夏秋冬のような「円環的(リサイクル的)」なものではなく、「創造」から始まりイエス様の再臨による「完成」へと向かう「直線的」なものです。
その前兆として、神殿の崩壊、戦争や地震・飢饉の頻発、偽キリストの出現、そしてキリスト教会への迫害が予告されています。しかしイエス様は、これらは単なる「産みの苦しみの始まり」に過ぎないため、惑わされることなく落ち着いて日常を過ごしなさいと教えられました。 宗教改革者ルターは、目を覚まして再臨を待ち望む生活を「新しい日常生活」と呼び、*「たとえ明日が世界の終わりであっても、私は今日リンゴの苗木を植える」*という印象的な言葉を残しています。
当時のエルサレムには「サンヒドリン」と呼ばれる最高宗教会議があり、各地方には地方法院が設置されていました。「地方法院に引き渡される」「会堂で叩かれる」(9節)とは、ユダヤ教徒からキリスト信者への迫害が全地域に及ぶことを意味しています。 さらに悲劇的なのは、12節にあるように、最も深い絆で結ばれているはずの「家族や親族」からの密告によって逮捕・投獄されるケースが多く見られる点です。家族の中で分裂、断絶、争い、憎悪、裏切りが起こる——主イエスは、終わりの時には完全に愛が失われるわけではないにせよ、このように「愛が冷えていく時代」になっていくと教えておられます。
2. 迫害は「福音宣教」の逆説的な機会
しかし、イエス様はそうした教会の苦難こそが、むしろ「福音がすべての人々に宣べ伝えられていく機会になる」と励ましてくださいました。
信仰ゆえに引き渡される時、人を動かすのは人間の強さや熱心さではありません。聖霊が力強く働き、語るべき言葉と証しする力を与えてくださるのです。だからこそ「心配する必要はない」とイエス様は仰り、迫害すらも福音宣教が前進する逆説的な機会になると教えておられます。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」(マルコ 13:13) ヘブライ人への手紙10章35–39節にも、「神のみこころを行って約束のものを受けるために必要なのは、忍耐です」と記されています。
3. 朝鮮初の司祭:アンドレア・キム・デ・ゴン(金大建)の証し
ここで、若くしてキリストに生涯を捧げた一人の人物をご紹介します。
先日、韓国で制作された『誕生 — 道を拓く者』という映画を観て深く感動しました。これは、朝鮮カトリック教会初の司祭(神父)となった金大建(キム・デゴン)の生涯を描いた作品です。日本でいえばキリシタン大名・高山右近のように、韓国で大変な尊敬を集めている人物です。
キム・デ・ゴンは1821年、朝鮮の忠清南道ソルメ村に生まれました。日本で言えば江戸時代(徳川家斉の治世)、伊能忠敬が日本全土の測量を始めた時期にあたります。彼は「両班(ヤンバン)」と呼ばれる貴族階級の出身でしたが、曾祖父、祖父、父も熱心な信徒であり、代々迫害の中で殉教を遂げていました。
当時の朝鮮王朝におけるカトリック(天主教)の歴史は、約100年に及ぶ激しい迫害の歴史でした。1801年に禁止令が出されると「信徒は邪学罪人」とみなされ、指導者たちは次々と殺害されました。 それでも信徒たちは絶望せず、獄中からバチカンへ「神父を送ってほしい」と手紙を送り続けました。その熱意に応え、ローマ教皇は1836年に西洋人神父を派遣します。
キム・デ・ゴンは1837年、16歳の時に洗礼を受け、「アンドレア」という洗礼名を授かりました。将来を担う神学生として選ばれた彼は、モンゴルを経由して半年かけてマカオへ渡り、西洋人神父から神学を学びました。 語学に長けていた彼はラテン語、フランス語、中国語を自在に操り、1845年に上海で司祭として任命され、朝鮮人初の神父となったのです。
彼は禁令下においても宣教師たちが朝鮮に入国できるよう、陸路や海路を切り拓くために尽力しました。身の危険を心配する信徒たちに対し、彼はこう語ったといいます。 「道は、歩いていくと後にできるものです。」
しかし神父となってわずか1年1ヶ月後の1846年9月、彼は逮捕・投獄され、ソウルの処刑場にて25歳の若さで処刑(絞首刑)されました。彼は厳しい獄中にあっても信徒を励ます手紙を書き続け、次のような遺言を残しています。 「私は主のために死にます。しかしこれは、私にとって永遠の命が始まることなのです。」
実質的な働きはわずか1年1ヶ月という短さでしたが、彼の強い信仰と功績は朝鮮カトリック教会の揺るぎない礎となりました。現在、韓国が世界有数のキリスト教国となった背景には、このような先人たちの姿があります。
迫害や苦難という「愛が冷えていく時代」の中にあっても、神様の恵みと福音は全地へと宣べ伝えられていくのです。