
「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に」(マルコ11:9)
「しかし、ピラトは言った。あの人がそんな悪いことをしたのか。しかし彼らはますます激しく叫び続けた。十字架のつけろ」(マルコ15:14)
Ⅰ 群衆心理の危うさ
1)イエス様はいよいよ日曜日にエルサレムの都に子ロバの背に乗って入城されます。イエス様の周りには瞬く間に多くの群衆が押しかけ、熱狂的に歓迎をしました。上着を脱いで道に敷いたり、棕櫚の葉のついた枝を切り取って道に敷いてイエス様を迎えました。結婚式でバージンロードが敷かれたり、国際映画祭でレッドカーペットが敷かれて俳優たちが歩くような光景と同様です。さらに群衆は「ホザナ、主の御名によって来られる方に」(9-10)と、口々に絶え間なく叫び続けました。
2)「ホザナ」とは、へブル語で「今、救ってください」という意味ですが、イエス様の時代には、神を賛美する言葉となっていました。「ハレルヤ」に近いことばです。群衆はイエス様を「主の名によって来られる」メシヤ、ダビデの王国を再建する真の王として、熱狂的に迎え入れたのでした。神殿当局者たちはこの光景をにがにがしく思ったことでしょうが、うっかりイエス様に手をだすと、このまま一気に暴動でも起こりかねない興奮状態でしたので、静観しました。
3)この日、イエス様はエルサレムの城門から神殿の中にまで入り、ぐるりと見てまわりました。夕ぐれになり、イエス様は都エルサレムに宿泊せず、ベタニヤ村へと出て行かれました。
4)イエス様を熱狂的に大興奮して迎え入れた群衆でしたが、5日後にはエルサレム地域に住む群衆がローマ総督ピラトに向って「十字架につけろ」(マルコ15:13、14)と叫び続けました。お祭り気分になっていたガリラヤ地方から来た者たちも、エルサレムと近郊に住む者たちも、たった5日間で豹変してしまう。人の心はこれほど変わってしまうものなのか、恐ろしさを覚えます。
5)今日の説教代は「群衆心理の危うさ」としました。「群衆心理とは特定の場所に集まった多数の人間(群衆)が、個人のときとは異なる特有の心理状態に陥る現象」と定義することができます。普段は冷静で理性的、良識である人でも、大きな集団の一部になると、その場の熱狂や雰囲気に流されて衝動的な行動をとってしまうことがあります。
6)ポジティブな面からは、野球やサッカーなどのスポーツでスタジアムに数万人が詰めかけ大声援をおくって、大きな感動や一体感を味わうこと等をあげることができます。しかし、多くの場合はネガティブな面が現れやすいとも言われています。たとえば、オイルショク時のトイレットペーパーの買占めによるパニックやコロナ時期にはマスクパニックで薬局に人々が殺到したり、昨年のお米騒動もありました。韓国でも日本でも狭い路地や陸橋に群衆が押し寄せ、パニック状態となり、多く人々が逃げ場を失い、群衆雪崩を引き起こして、圧死してしまうという悲劇的大事故(明石大橋陸橋事故・ソウル市内イテウォン事故)などは、まだ記憶に新しいのではないでしょうか。
7)生成AIで「聖書の中における群衆心理の例を見つけてください」と質問したところ、「聖書が描く最大の群衆心理の悲劇」として、イエス様を「十字架につけろ」と叫んだ聖書個所(マルコ15:13-14)が、すぐに返されてきました。そこで、群衆心理に「強い人」と「弱い人」の特徴を教えてくださいと質問すると、強い人には、4つの特徴がありますと回答がきました。ご紹介します。
第一に、明確な自分軸を持っている人、自分の価値観や倫理観がはっきりしているので、「みんながそう言ってるから」という理由だけで行動を変えない人。
第二に、孤立を恐れないで、同調圧力に強い人。周りと違う意見を持つことや集団から浮くことに対して過度な恐怖を感じないで、一人で行動することに抵抗がない タイプの人。 第三に、クリティカルシンキング(批判的思考)ができる人。入ってきた情報を鵜吞みにせず、「これは本当に正しい情報か」「なぜみんな興奮しているのか」と冷 静に分析する癖がついている人。 第四に、メタ認知能力、自分を客観的に観る能力に長けている人。「自分も今、流されそうになっているな」と自覚でき、自制することができる人と答えています。
8)一方で群衆心理に飲み込まれやすい人はと質問すると、周囲の環境や他人の目を強く意識してしまう傾向が強い人ですとの解答が返ってきました。
第一に、同調欲求や他者承認欲求が強い人。みんなと同じでいたい、集団から嫌われたくない、仲間外れにされたくないという思いが人一倍強いタイプ。 ある人がまるで、「ペンギンの行進」といみじくも表現しました。 第二に、感情の起伏が激しく共感性(共鳴性と言ったほうが適切かもしれません)が高すぎる人。他人の怒りや恐怖、熱狂といったエネルギーに過剰に共鳴してしま い、理性が追いつく前に、心が周囲と一体化してしまうタイプと分析結果が出ていました。感情は伝染し、一人の強い怒りや恐怖はウィルスのように周囲の人に感 染して 伝播していくことは良く知られている現象です。 第三に自己肯定感が低く、匿名性に依存しやすいタイプの人。自分の判断に自信が持てないため不測の事態が起きた場合「多数の意見」を正解と思い込んで、流され てしまう。しかも、自分が誰だか特定されない状況になると、普段は抑えている攻撃性や感情が爆発しやすくなるタイプとされていました。さすがに生成AIの分析 力はすぐれていると感心しました。何時間も専門書を読んだり、図書館まで行って調べたりしなくてもキーボード一つで一瞬で分析結果(正しいとは限りません) を観ることができるのは驚きでした。
9)もともと群衆心理に流されるのは、人間の生存本能でもあり、大昔、集団と同じ行動をとったほうが生き残る確率が高かった名残でもあるため、強い弱い・高い低いという問題ではなく、「今、自分は集団に飲み込まれていないかと一瞬立ち止まる意識を持てるかが重要です」と、対策まで解説してくれていました。その上、「人が一ヶ所に集まらなくても、オンラインで簡単に「ネット上の群衆」が形成される時代だから、「みんなが」でなく、主語を自分に置き換え、一歩引いて客観的になりましょうとも、回答してくれていました。もっともAI自身がネット上の巨大群衆の言動を集約して答えているにもかかわらずです。。
10)余談ですが、ここまで返答してくれているので、「GEMINI ありがとう かしこいね」と話しかけると、「そう言っていただけて、すごくうれしいです、深く掘り下げた面白い質問をしてくださり、ありがとうございました。今日も良い一日をお過ごしください」との返事が返ってきました。そこら辺のカウンセラーよりもしっかり寄り添ってくれています。これからの社会はいったいどのように変化していくか期待と不安が私の心に正直、ありました。
いずれにしろ、群衆心理(集団心理)の危うさを痛感させられる出来事といえます。文字通りネット上の「巨大群衆」が形成され、その情報に無意識に流されやすいリスクが高い時代に突入しています。改めてパウロのアドバイスに耳を傾けたいものです。
「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けることができます」(ローマ12:2)
Ⅱ ベタニヤ村のイエス様の居場所
1)イエス様は夕方になり、小さなベタニヤ村に引き返し、マルタとマリヤとラザロが暮らす家に宿泊したと思われます。そこは、イエス様と弟子たちの旅の疲れを癒すことができる憩いの場、あたたかな居場所でした。マルタの手料理に舌鼓みをうち、空腹も満たされたことでしょう。一方マリヤはイエス様の語る神の国のメッセージに誰よりも静かに深く耳を傾けることを喜びとしていました。神のみ言葉とみこころを分かち合える交わりは、イエス様にとっても大きな喜びではなかったでしょうか。12弟子たちが主イエスの受難を全く理解できなかったことと対称的とDいえます。
2)5日後に起こる十字架の死という出来事を前に、イエス様はこの家で静かに祈ることができたのではないでしょうか。イエス様は最後の夜、エルサエムの2階屋敷で食事をした後、ゲッセマネの園に祈りに出かけられましたが、ベタニヤのマルタの家は、「屋根と暖炉のあるゲッセマネの園」であったかもしれません。
3)私たちの教会は今、ベタニヤ村の小さな家となっているでしょうか。ベタニヤとは「悩む者の家、貧しい者の家」という意味だそうです。イエス様にあって救いを受けた者たちが共に集い、神のみこころと愛を深く味わい、心の貧しい者が神のみ国を知る幸いに招かれ、恵みを共に感謝することができる場となっているでしょうか。なによりも、5日後に大群衆が口々に、「イエスを十字架につけろ!」と熱狂的に叫び続ける中で、「自分の十字架を負って」(マルコ8:34)イエス様に従い歩む小さな群れであり続けているでしょうか。静かに自らに問い続けたいものです。
おりしも今日はペンテコステ礼拝の日です。真理の御霊、キリストの御霊が注がれ、新しい神の共同体である「教会」が地上に誕生した日でもあります。群衆心理に流されやすいこの時代に、聖霊はわたしたちに「聖霊によって歩みなさい」と語りかけておられます。
「御霊によって歩みなさい」(ガラテヤ5:16)