
「ダビデ自身がキリストを「主」とよんでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょうか」(マルコ12:37)
今日はアメリカのコンバージに属している教会から派遣された5人の兄弟姉妹(トミ―さん、サングさん、ジョナサンさん、マリーさん、リベカさん)を礼拝に迎えました。サングさんとリベカさんには証しをしていただきましたが、二人の証しを聞いてたいへん感動しました。8月上旬まで5人は各教会で奉仕をしますので、猛暑の中、健康が守られますようにお祈りください。
今日のテーマは「イエス・キリストとは、一体どなたなのでしょうか」です。
1. 日本人にとってイエスキリストは誰でしょうか?
日本のキリスト教徒は全国民の1%未満と言われています。もし街中で「イエスキリストを知っていますか?」という質問を投げかけたら、「世界史で学んだ世界の『四大聖人』のひとり」「キリスト教を開いた教祖様」という答えが返ってくるかもしれません。あるいは、「日本には八百万(やおよろず)の神々がいるのに、わざわざ外国の神様を信じる必要なんてないのでは?」と思われる方もいらっしゃることでしょう。多くの日本人が、イエスキリストを知りません。知らないまま人生を歩んでいます。私たちには関係がない遠い外国の神だと思っている人が圧倒的多数といえます。しかし、イエスキリストを知らない人生ほど空しく孤独なものはありません。イエスキリストは「私は世の光です。私に従う者は決して闇の中を歩くことがなく、いのちの光をもちます」(ヨハネ8:12)と言われました。私たちの人生を導く真理といのちの光がなければ、それはまるで、暗い夜道を「マッチ棒」の火のように消えてしまいそうな灯りをつけて歩くようなものではないでしょうか。失望や不安や迷いの闇の中を一人歩くことになります。
今日は、聖書の「マルコによる福音書」12章35〜40節の言葉を通して、イエス様が一体どなたなのか、ご一緒に耳を傾けてみましょう。
2. ユダヤ人と律法学者にとって、イエスキリストは「ダビデの子」でした
イエス様が生きておられた時代、ユダヤの国は巨大なローマ帝国の強い支配下にあり、民衆は苦しい生活を強いられていました。彼らが待ち望んでいたのは、「メシア(キリスト=油注がれた救い主)」の登場です。当時の人々や律法学者たちは、かつて栄華を極めたダビデ王のような強い王が現れ、ローマ帝国を剣で打ち破り、強い王国を地上に再興してくれると信じていました。だからこそ、救い主を「ダビデの子」という称号で呼んで待ち望んでいたのです。しかし、イエス様は詩篇110篇を引用しながら、その間違いを正し、真実なキリストの姿を示そうとされたのでした。
「ダビデ自身が聖霊によって『主は私の主にお命じになった』と言っている。ダビデ自身がキリストを『主』と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子であろうか。」(37)
ダビデ王といえば、ユダヤ人にとって歴史上もっとも偉大な国王です。その大王ダビデ自身が、キリストに向かって「わが主(わたしの支配者)」と呼び、礼拝をささげています。つまりイエス様は、「人々が期待するような『地上の王、政治的な王』ではないことを明らかに示されたのでした。キリストは地上の王国の王ではなく、永遠の神の国の王、まことの主権者として神の右の座に即位されたのです。
では、ダビデ王さえも「わが主」と呼んだイエス・キリストとは、一体どなたなのでしょうか。イエス様の弟子の一人であったペテロは、聖霊に満たされてこう告白しました。 「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」(マタ
イ16:16)と。 イエス・キリストは、単なる歴史上の人間ではなく、天地を造られたお方のひとり子であり、「神の御子」そのものです。 このお方が築こうとされたのは、やがて滅びてしまう地上の国ではありませんでした。 国境や時代を超え、すべての民を統べ治める「永遠の神の国」を来たらせ、神の御子ご自身がその永遠の国を統べ治められるのです。そして、その永遠の王座に就くために、イエス様は十字架を背負ってカルバリの丘を めざして進まれたのでした。イエス様は力や武力で人々を屈服させるのではなく、ご自身の命を投げ出すほどの「愛」によって、十字架の愛によって、神の国を建て上げられたのです
かつて政治的に失脚し、すべてを失ったナポレオンは、孤独の中で、こう語ったと伝えられています。「私は剣によって国を治めたが、剣によって敗れ去った。しかしイエス・キリストは、愛によって世界を治め、彼の国は今も、そしてこれからも永遠に存在し続けるだろう。」と。
世界を力で支配しようとした英雄たちの国々はことごとく滅び去りました。ただ、愛によって世界を統べ治めらるイエス・キリストの御国だけが永遠に存在するのです。
「このお方こそ、私の人生の主(主権者・導き手)です」と認め、その愛の支配に心を委ねることが大切なのです。明け渡して心に迎えるとき、わたしたちの人生は神のものとなり、神が最善を成し遂げてくださいます。八百万の神々を拝む文化の中に生きている私たちですが、すべての造り主であり、私たちのために十字架で命を捨ててくださった「唯一の主であるイエスキリスト」に出会うことこそが、真実な救いへと繋がる唯一の道なのです。
3 では、あなたにとって、イエスキリストは誰でしょうか。
イエス・キリストは、過去の人、歴史の中の4大聖人の一人ではありません。もちろん、遠い外国の神でもありません。 釈迦も孔子もマホメットも、世界の4大聖人と呼ばれた聖人たちも皆、死んで、墓に葬られました。その遺骨が納められた場所は「聖所」と呼ばれ、多くの巡礼者たちが訪れています。しかし、キリストの墓はどこにもありません。十字架の上で死なれ、葬られましたが、死者の中からキリストは復活されました。ですから、どこにもキリストの墓はありません。復活されたキリストは今も生きておられ、あなたを永遠の神の国へ招いてくださる「神の御子、永遠の王」として共に歩んでくださるのです。
中国の小さな孤児院で育ったSONGさんを、養子として迎えることが法的に可能な14歳の2日前に、見出してくださり、アメリカ人のクリスチャン夫妻のもとに導き、引き上げてくださったのは、生きておられるキリストの為せる恵みの御業以外のなにものでもありません。宣教師の娘として生まれ、信仰に生きていたリベカさんを数々の試練が襲いました。失意の中の姉妹に「40時間の祈り」を教え、その祈りの中で日本への重荷を与えてくださったのは、生きておられるキリストの為せる御業ではないでしょうか。
今日、このイエス様をあなたの「主」、あなたの「救い主」として、心にお迎えしませんか。ダビデ王がキリストを「わが主」と呼んだように。疑い深いトマスが復活されたイエス様を「わが神、わが主」(ヨハネ20:28)と礼拝したように。 イエス様を「わが神、わが主」として、心と人生にお迎えしませんか。